鮫川の河川敷には涼しい風が吹き渡っている。
 どうかすると首元が寒い気もしたが、雲の隙間から時折顔をのぞかせる太陽のお陰で寒さは緩和され、歩いている分にはちょうどいい気候と言えた。
 午後の河川敷には人の姿も少ない。足立はポケットに両手を突っ込んで土手をぶらぶらと歩いている。昼飯を堂島と一緒に食ったあと二手に分かれ、聞き込みしがてら稲羽署へと戻る途中なのだが、その足取りには急ぐ気配が微塵もうかがえなかった。
 ――どっか遊び行きたいなあ。
 ゆっくりと空を流れる雲を眺めながら足立は思った。
 とはいえ、こんな田舎町では気軽に暇潰しの出来る店などありはしない。足立は、あーあ、と呟いて更に歩調をゆるめ、草の生い茂る土手の斜面をみつめた。いっそのこと昼寝でもしていこうか。そう思った時、不意に背後から声をかけられた。
「すみません」
 子供の声だ。足立は足を止めて振り返った。
 背後には一人の少年が立っていた。中学生くらいだろうか。ツバの浅い帽子を目深にかぶり、初夏のこの時期にしては少し立派過ぎるコートをかっちりと着込んでいる。足立はその小さな体を見下ろしながら、「はい?」と首をかしげてみせた。
「この辺りに巽屋という染物店があると聞いたのですが、場所を御存知ではないですか」
「巽屋さん? うん、知ってるよ。えーっとね、この先ちょっと行ってから――」
 そう言って足立は土手の先を指差したが、目印として教えられそうなものは見当たらなかった。困って寝癖の残る頭を掻く姿を、少年も若干困惑気味に眺めている。
「まぁいいや。どうせ僕もそっちだし、一緒に行こうか」
「え? しかし――」
「いいからいいから」
 足立は返事も聞かずに歩き出した。そのあとを少し遅れて少年が小走りにやって来る。足立は少年が隣に並ぶのを確認すると、見かけない顔だなぁと思いながら口を開いた。
「それにしても、君みたいな子が巽屋さんになんの用事? お遣いかなにか?」
「お答えしなければいけませんか」
「え? あぁいや、別に」
 必要以上に堅苦しい少年の言葉が気に入らなくて、足立は腹のなかで舌を出していた。
 ――なんだ、このクソガキ。
 案内なんかしてやるんじゃなかったな。なんとなく気をそがれて足立は口をつぐみ、土手の脇から背を伸ばす雑草を引っこ抜くと、意味もなくぶらぶらと揺らし始めた。
「先月、この町で二件の殺人事件が起こりましたよね」
 土手から脇の道へと下りる階段に足をかけた時、少年が言った。
「うん。あったね」
「犯人はまだ捕まっていないという話ですが――」
「そうだねえ」
 足立は空いている方の手で頭を掻いた。
「まぁでも、あれからなんもないしさぁ。犯人、どっか行っちゃったんじゃないの?」
「では、以降はなにも起きてはいないと……」
「うーん。――あぁそういえば、一時期天城屋の子が行方不明だったなぁ」
 草を弾き飛ばして足立は思い出す。
「天城屋……天城屋旅館のことですね。行方不明というのは?」
「うん、あそこ高校生の女の子が一人居るんだけどさ、二件目が起きたちょっとあとくらいに居なくなっちゃったんだよね。まあ結局は戻ってきたし、事件とはなんも関係なかったみたいなんだけど」
「そうですか……」
 少年はなにかを考え込む顔になった。その脇をのろのろと歩きながら、あれ、今の言っちゃヤバかったかな、と遅れて足立も考えた。しかし天城雪子が一時期行方不明になっていたことは周知の事実だ。別段隠し立てする必要もないだろうと足立は思い直した。
「マスコミが入ってきたせいで、天城屋旅館は一時期話題になっていましたね。確か、殺された山野アナが直前まで宿泊していた宿だとか」
「みぃんな暇だよねえ。全然関係ない娘さんまで取材してさ、女子高生女将、なんて持ち上げてさあ」
「しかし、そのお陰で有名になったのも事実でしょう」
 足立は鼻を鳴らして足を止めた。
「君、なに? 雑誌記者の真似事でもしてるの?」
 まだ中学生程度の年齢で、妙に堅苦しい言葉遣いなのが気に障った。普通であれば表立って口にしないであろう事柄をずけずけと言い募る態度も気に食わなかった。しかし少年はこっちの視線をまっすぐに受けて、一歩も引こうとしなかった。
「僕はただ、真実が知りたいだけです」
 足立は内心でため息をつく。
「じゃあ遺体の発見現場まで案内したげよっか? 家が一軒建ってるだけで、なぁんも面白味なんかないよ?」
 現実なんてそんなもんだよ、と言って足立は笑った。少年はなにも答えない。
 ――クソガキが。
 足立は無言で歩き出した。歩きながら、お前が望む「真実」とやらにどれだけの価値があるんだよ、と思う。
 こういった子供のまっすぐな目が、足立は心底嫌いだった。こちらが甘く見てやっていることにも気付かず、それを当たり前のこととして受け入れている不遜な態度を見るに付けて、その鼻っぱしをへし折ってやりたくてうずうずする。
 二人は結局大通りへ出るまでなにも喋らなかった。足立は道の反対側を指差して「あっちだよ」と教えてやった。
「あの道入っていった右側。大きな看板が出てる古い建物だから、すぐにみつかると思う」
「わかりました。ありがとうございます」
「いえいえ、どういたしまして」
 点滅を始めた横断歩道を少年は駆け去っていく。足立はポケットに両手を突っ込んでそれを見送った。
 ――まあ、いいけどね。
 信号を支える電柱に寄りかかって足立は思った。
 なにもないのが売りのこんな田舎町で、殺人事件が立て続けに起こったのだ。誰だって興味を持つ。大抵の人間は暇潰しを重ねるしか生きる方法がないのだから仕方がない。
 ため息をついたあと、足立はのろのろと身を起こした。他人の心配などしている場合じゃない、自分だって暇潰しに戻らなければ。
 そう思いながらもすぐに歩き出す気にはなれなくて、結局青信号を三回見送った。くわえた煙草の灰が靴を汚しても、拭う気力は出なかった。


 堂島が写真を差し出してくる。それを見た瞬間、足立は思わず吹き出してしまった。
「どうした」
 足立からの貰い煙草を口にくわえ、堂島は怪訝そうな顔をした。
「いえ、……なんて言うか、田舎の人って本当に伝統を重んじますよね」
「……」
 堂島は渋い顔つきで写真を眺めたあと、何故か恥ずかしそうに「こいつはまだマシな方だぞ」と呟いた。
 そこには一人の少年が写っていた。剃り込みを入れた髪の毛を後ろへと流し、斜に構えた格好でカメラのレンズを睨み付けている。学校の制服らしい上着は袖を通さず肩にかけられ、いっぱしの不良を気取っているようではあるが、頬の辺りに隠し切れない幼さがうかがえた。
 写真は全体で撮ったものの一部を引き延ばしたらしく、鮮明度にやや欠けていた。恐らく卒業アルバムのようなものから印刷したのだろう。足立はあらためて写真を眺め、十年後に見返して恥ずかしさに身悶えればいいよ、と生温かい気持ちになった。
「で、このヤン……この子がどうしたんです?」
 堂島の机の側へ、近くにあったイスを引き寄せながら足立は訊いた。
「母親から捜索願が出された。巽完二、十五歳。八十神高校の一年生だ」
「八十神高校……あれ? 巽って、もしかして商店街の巽屋の子ですか?」
「そうだ。まぁ前々から素行不良で、何度か引っ張られてきたりはしてたんだ。ただ根は悪い奴じゃないし、こう……どこか行き過ぎた正義感があってな。それで結果的に騒ぎになっちまう」
 そう言って堂島は小さなため息をつく。写真へと目を落とす姿には、出来の悪い我が子を見守るような慈愛が感じられた。それを横で見ていた足立は、なんとなくだが軽い嫉妬のようなものを覚えた。写真のなかの完二を睨み付け、よかったな、堂島さんが心配してくれてるぞ、と暗い気分で語りかけた。
「捜索願ってどういうことすか」
 もてあそぶばかりで火を付けようとしないのを見て、足立は机の上のライターを取り上げた。堂島はそれで気が付いたように煙草をくわえ直し、苦しそうに煙を吸い込んだ。
「おとといの夕方から家に戻っていないらしい。今まで無断外泊はあっても必ず朝には戻ってきたそうなんだ。携帯も通じないということで母親が心配してな……あそこ、父親は病気で他界してるんだ」
「――そういえばこの子、このあいだテレビに出てましたね」
 話題を変えるように足立は言った。堂島は苦り切った顔でうなずいた。
「あの特番な。お前も見たのか」
「見ましたよ」
 ――あと、マヨナカテレビも。
 足立は笑顔でうなずいた。
「ただでさえ事件の関係でマスコミがうろちょろしてるってのになぁ」
「……なんか関連はあるんですかね」
「わからん」
 堂島は写真を置くと、目の前に並べてあるファイルを漁り始めた。
「ただ、八十神高校つながりってのが気になるな。二人目の被害者である小西早紀、一時期行方不明になっていた天城雪子、それに巽完二だ。年齢はバラバラだが、みんなこの町に住んでいて同じ高校に通っている。それに、なにかしらの形で、山野真由美に縁がある――」
「八十神高校って言えば」
 急に思い出して足立は手を打った。
「昨日だったかな、堂島さんとこの甥っ子くんに会いましたよ」
「孝介に? どこで」
「えぇと、巽屋さんに話聞きに行ったんです。ホラ、山野アナがスカーフ特注してたとかで――」
 二人は知らずのうちに顔を見合わせていた。
「……孝介が巽屋に居たのか?」
「はい」
「なんの用事だ?」
「さあ。友達に頼まれてとかなんとか言ってましたけど」
「……」
 ――あれえ?
 今の言っちゃヤバかったかな、と堂島の渋い顔つきを眺めながら足立は考える。だが同時に、妙な符丁のようなものも感じていた。
「友達ってなぁ誰だ」
「天城屋の子だって言ってました」
「天城雪子か。……行方不明になってた、天城雪子だな」
「はい」
 それだけ確認すると、堂島はなにかを考え込む顔つきになった。
 ――あれれれれ?
 別の流れで足立も考え込んでいた。
 そういえば妙な偶然が続いている、ような気がする。マヨナカテレビに放り込まれた天城雪子、と同じクラスの月森孝介。どうやら仲がいいらしく、一度ジュネスのフードコートでほかの友達と一緒のところに出くわしたことがあった。
 だけど、今度はどうなんだろう?
 捜索願が出されたのは昨夜遅くであるらしい。だが実際に完二が居なくなったのはおとといの夕方頃だ。つまり足立が巽屋で孝介に出くわしたのは、完二が居なくなった翌日ということになる。
 月森孝介は友人の天城雪子に頼まれて後輩の巽完二の家へ行った。――言い換えると、孝介は一時期マヨナカテレビに放り込まれていた雪子に頼まれて、現在マヨナカテレビに放り込まれている完二の家へ行った。しかも完二がテレビのなかへ入れられたあとに。
 ――まさか。
 偶然だ、と足立は笑い飛ばしたかった。だが笑い飛ばすには偶然が上手く嵌り過ぎていた。
 ちらりと堂島を見ると、上司はまだ深い考えに沈んでいた。堂島でさえなにかを感じるほどのつながり具合だ。これをただの偶然だと見逃すわけにはいかない。
 考えてみれば雪子が居なくなった直後にも奴らは騒いでいた。ジュネスで揃っている姿もしょっちゅう目撃されている。
 三人目、だ。恐らく間違いないだろう。
 ――へえ。
 足立は口の端が笑いに歪むのを隠す為にうつむき、煙草を取り出した。そうして火を付けながら、まさかこんな近くに居たとはねえ、と内心で感嘆の声を上げていた。


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