七月は殆ど期末テストの為に学校へ通うようなものだと孝介が言っていた。テストの一週間前から部活は休みになるし、テストが終わればあとは楽しい夏休みが待っている。
だがそれも、社会人になってしまえば意味のない話だ。真夏だろうと真冬だろうと、毎日変わらず仕事がある。ボーナスはスズメの涙だったし、結局事件は解決していないから夏休みが取れるのかどうか今から不安だし、おまけに「少年探偵」なんてわけのわからない奴までやって来て、
――いやあもう、なんかどうでもいいやあ。
足立の夏は、あまり暑くない。
四月に起きた二件の殺人事件に関する捜査は、依然として進展がなかった。どれだけ調べても死因はわからないし、犯行動機も未だに不明。二人目の犠牲者である小西早紀が、一件目の死体の第一発見者であることから、なんらかの繋がりがあるのは確かだった。しかし、では何故一人目の山野真由美が殺されたのか、その理由がわかる者はどこにも居なかった。
不倫のもつれだと当初は推測されたが、不倫相手である生田目太郎にも、その妻の柊みすずにも、きちんとしたアリバイがある。第三者を使って殺害させたのだとしても、そもそも死因が不明なのだから調べようがない。まったくのお手上げ状態だった。
署内には既にあきらめのムードが漂っていた。足立もそれには賛成だった。
だって、わかるわけないじゃない。
二人を殺したのはテレビの世界だ。そしてそのことを知っているのは今のところ三人だけ――いや、違う。生田目はテレビのなかがどんな世界なのかを知らない。だから誘拐が続けられる。そういう意味ではいたちごっこがどこまで続くのかを見ているのが楽しかった。
孝介たちが助ければ助けるほど生田目は誤解を重ねる。いい気分なんだろうなと思うたびに、事実を知った時どんな反応を見せるのか、それを考えるとおかしくてたまらなかった。
いつか時がきたら教えてやろうと足立は思っていた。あんたは既に三人を殺し損なってるんだ、さてさて、どこまで続けられるのかな?
だがそんな目論見に横やりを入れる人物が居た。県警から派遣されてきた「特別捜査協力員」の白鐘直斗である。有名な探偵事務所のエースという話だが、実際にはただの小僧だ。頭のなかで全て世界が出来上がっていると思い込んでいるような、口うるさいガキでしかない。
そのガキが、事件のあとに続いた失踪事件を詳しく捜査するべきだと主張している。無関係に見えるかも知れないが、繋がっている線がある。決して見落としてはならない出来事だ――と。
――へえ。
足立はこっそりと感心していた。実際その点に言及した人間はこれまで一人も居なかった。だが悲しいことに、警察は事件が起きてからでなければ動けない。数人の高校生が一時期行方不明になったとしても、そこに事件性がなければどうしようもないのだ。なにしろ本人たちは無傷で戻ってきている。しかも居なくなっていた当時の記憶がないというのだから困ってしまう。
今のところ署内で声高に捜査を叫ぶのは、中心となって動く堂島と、よそからやって来た白鐘だけ。だがどこをどう調べても、相変わらず死因は不明、動機も不明のままだ。
ともかく足立は、捜査に熱を入れようとは思わないが、白鐘の動きは面白く眺めさせてもらうことにした。あたふたといろんな人間が走り回るのを見るのは、おかしくてたまらない。
――ま、せいぜい頑張んなよ。
表面上は、重箱の隅をつつくようにしつこく聞き込みを続けている。だが話を聞いたところでなにも出ないとわかっているのだから、適当にお茶を濁して終わってしまう。
要するに、足立は今日も全力で暇を持て余しているのであった。
――あー退屈。
いつものようにジュネスのエレベーター脇でぼんやりと外を眺めながら足立は思った。短くなった煙草をもみ消して灰皿のなかへ落とし、壁に寄りかかって腕を組む。大きなガラスの向こうはいい天気だ。陽射しの元気なうちは、あまり外に出たくなかった。人々は半袖姿で夏を謳歌しつつあるのに、仕事柄仕方ないとはいえ、背広を脱ぐことも出来ないのだ。
それに、元々夏は好きじゃない。勉強漬けだった記憶しか足立には残っていない。こうして田舎へやって来ると、青春を満喫している学生どもが憎くて仕方がなかった。
――ま、遊べるのも今のうちだよ。
早いところ社会に出てせいぜい苦しむがいいさ。腹のなかで黒い笑いを浮かべた時、足立は意外な人物をガラスの向こうにみつけた。
孝介だ。
足立はにへらと笑って手を振った。カバンを小脇に抱えた孝介は一瞬顔をこわばらせたあと、うなずくような、目をそむけるような曖昧な動きを見せて立ち去ろうとした。足立はあわててあとを追いかけた。
「ちょっとちょっと」
手をつかむと孝介は顔をそむけるようにして立ち止まった。
「なに無視して行こうとしてんのさ。冷たいなあ」
「無視はしてない、ですよ」
「あれ? じゃあなに、なんかやましいことでもあるのかなぁ?」
そう言って顔をのぞき込む。手を引くと孝介はこちらに向き直ったが、目はそらせたままだった。
「ないです」
「ま、僕とはやましいことしてるけどね」
「……っ」
睨み付けられたが、事実だ。にまにまと笑いながら見ていると、孝介は観念したように「そうですね」と呟いた。そのままうつむいてしまう。
――おりょ?
噛み付いてくるかと思っていたので拍子抜けしてしまった。足立はなんとなく気まずさを覚えて頭を掻いた。
「まぁいいや。今、暇? 暇ならフードコート付き合ってよ」
「え……」
「ちょっと休憩したいんだけど、一人だと目立っちゃうからさあ。なんでも好きなもの奢るから」
さぁ行こうと言って返事も聞かずに歩き出す。孝介はためらいながらもあとを付いてきた。だが店の入口をくぐろうとしたところで、不意に手を引いてきた。
「足立さん。――足立さんっ」
「んー? なに?」
「手」
振り返ると、まだ孝介の手を握ったままだった。
「おっと。失敬」
あわてて手を放す。孝介は放された手を握りしめたあと、ズボンのポケットに突っ込んでさっさと歩き出した。
「って言うか、またサボってるんですね」
やって来たエレベーターに乗り込むと、孝介が非難の口調で呟いた。
「人聞きの悪い言い方しないでよ。市内の巡回パトロールだってば。ジュネスは人が多いからさ、見て回るのにも時間がかかっちゃうわけだ」
「そういうのは制服を着たお巡りさんの仕事だと思ってましたけど」
「僕だって警察の人間だよ? みんなの安全を守るのは当然でしょ?」
「……そういうことにしといてあげます」
「うわ、可愛くないなあ」
ようやく孝介の口元が笑った。
売店でソフトクリームとジュースを買い込んだあと、二人は端の方のテーブルに席を取った。ジュネスは二階建てのスーパーでフードコートはその屋上にあるのだが、周囲を遮るものが殆どない為に、涼しい風が心地よく吹き渡っていた。足立はソフトクリームを舐めながら背広のなかに風を招き入れた。
「あー幸せー」
照り付ける陽射しは厳しさを増す一方だ。今年は空梅雨で殆ど雨が降っていない。この週末にまた天気が崩れるという話だが、今日の空模様はそんな気配を微塵も感じさせなかった。
「ホントに甘いものが好きなんですね」
コーラを飲みながら孝介が呆れたように言った。一緒にどうだと誘ったのだが、ジュースだけでいいと断られてしまったのだ。
「ホラ、頭使うからさ。糖分が必要なのよ」
「ふぅん」
「歩き回って疲れるし。汗も掻くし」
「全部言い訳にしか聞こえないんですけど」
「休憩は必要だよって話。――食べる?」
孝介はいりませんと首を振った。近くに居るのに、どこか避けられている空気がずっと続いている。
「そういえば、腰、大丈夫?」
「腰?」
「いや、こないだ突っ込んじゃったし」
孝介がコーラを吹き出しかけた。どうにか飲み込んだあと、おかしなところに入ったと言ってむせている。足立は、大丈夫? と訊きながらソフトクリームを舐め続けた。
「いきなり、なんの話を」
「だって心配だったし」
「……大丈夫ですよ」
「ならよかった」
孝介は気まずそうに視線を外した。
ふと思い付いて足立はテーブルの下をのぞき込んだ。孝介の空いている方の手が彼の足に載っているのが見えた。足立は手を伸ばして指を握った。孝介がわずかに目を上げて非難の視線を送ってきた。
「……足立さん」
「見えないって」
実際、人の姿もさほどあるわけじゃない。足立は鼻歌交じりにアイスを食べ続ける。持ち手のコーンまでしっかりと腹に収めた頃、ようやく孝介が口を開いた。