雪はまだ降り続いている。
 孝介はポケットに両手を突っ込み、白い息を吐きながらトボトボと家路をたどっていた。
 結局足立は捕まえられなかった。病院から出た形跡もなく、生田目が使っていた病室へ追い詰めたところで姿を消した。
 多分、テレビのなかに居るのだと思う。状況を見れば、そう考えるしかない。
 明日、授業が終わったらみんなでジュネスに集まることになった。逃げた足立を追いかけるのだ。そうして捕まえて、そして――。
 孝介はふと足を止めて空を見上げた。霧でよく見えないなかを、白いものが勢いを失いながらちらほらと舞い落ちてきている。
 これが望みだったんだろうか。
 犯人を捕まえようと決意した自分と、犯人がほぼ足立で決まりだとわかった今の自分が、上手く繋がらない。
「月森」
 聞き覚えのある声に孝介は振り返った。霧と雪のなかを、陽介が走ってくるのが見えた。
「どうした?」
 みんなとは商店街で別れた。なにか用事があるなら電話をくれればよかったのに。
 側に駆け寄ってきた陽介は息を整えるあいだ、ずっと孝介を見ていた。なにか言いたそうな顔をしている。
「なんだよ」
「その……お前、大丈夫か?」
「え……」
 不安を指摘されたような気がして、一瞬どきりとした。
「いや、なんか、すっげー動揺してるみたいだったからさ」
「……そりゃ、動揺もするよ」
 あれだけ身近な人物が犯人だと判明したのだ。叔父の関係もあり、陽介たちと違って自分は足立と近くに接していた。だからだと孝介は説明するが、友人は納得のいかない顔のままだ。
「そりゃそうなんだろうけどさ……」
 そう言って陽介は同道するかのように歩き出す。方向が違うのにいいのだろうかと思ったが、ゆっくりと歩くことで気遣いを受け入れることにした。
 しばらく二人は無言で歩いた。陽介は言葉を探しているようだった。そのあいだにも雪は降り続いている。じきに止みそうな気色だが、辺りに積もった雪は朝までしっかりと残りそうだった。
 孝介は歩きながら一昨日の晩のことを思い返していた。足立からの電話を。
 あの時足立は、すぐに元通りになると言ってくれた。菜々子も遼太郎も元気になって家へ戻ってくる、生田目のことも「しかるべきところ」に落ち着く筈だ、と。
 今にして思えば、そうなることを誰よりも強く願っていたのは足立自身だったのだ。春の事件に言及されないうちに生田目を犯人として断罪してしまえば、自分に罪は及ばない。多分そう考えていたに違いない。
 もしその通りになったら、どうだったんだろう。目の前を雪がちらほらと舞い落ちていく。それをぼんやりとみつめながら孝介は考えた。
 自分たちが真犯人を探そうとせず、生田目が殺人を犯していないことも知らず、法に任せるままにしていたら。
 今となにが違うんだろう?
 足立は四月には二人を殺していた。孝介はその足立しか知らなかった。
 そして今、孝介はその事実を知った。――今と昔と、なにが違う?
「……俺さ」
 おもむろに足を止めて陽介が言った。
「ぜってーに足立の野郎、とっ捕まえるからな」
「……なんだよ、今更」
 同じように足を止めて孝介は友人を見返した。それは病院でみんなと約束したことだった。
 明日、授業が終わったらテレビのなかへ行く。足立を追い詰めて、捕まえて、そして――。
「俺、知りたいんだよ。なんで小西先輩が死ななきゃなんなかったのか」
 陽介は四月の時と同じ顔で繰り返した。思えばそれが始まりだったのだ。
 山野真由美が死んで、マヨナカテレビが映って、テレビのなかへ行って、小西早紀が死んだ。
 陽介はずっと理由を知りたがっていた。雪子も同じようなことを言っていた。完二も、りせも、みんなそうだ。始まりはたったひとつのことだった。
 何故?
 誰がどういう理由で?
 それは今、孝介のなかに渦巻いている気持ちと同じだった。――何故足立が? なんでそんなことを?
 孝介は足立を知りたかった。ずっと理解したかった。楽しそうに笑っている時と、あの真っ暗な目で笑う足立がどう繋がるのか、……もし繋がらないのだとしたら何故なのか。
 既に一部分は見えている。
 踏み出せない理由は、なんなのだろう。
「もしひどい理由だったらどうする」
 陽介は突然の質問に面食らっているようだった。孝介はうつむいて言葉を続けた。
「……こんな言い方もなんだけどさ、今更理由がわかったって、小西先輩が生き返るわけじゃないだろ」
 起こってしまったことは変えようがない。
 足立のしたことは、もう消せない。
 見るしかないのに。
「……嫌なら来なくていいぞ」
 意に反して、陽介は穏やかな表情だった。
「お前が居たからここまで来れたのは事実だもんな。それは感謝してる。でもさ、お前は直接被害受けたわけじゃねぇだろ? そりゃ、菜々子ちゃんとか堂島さんはまだ入院してるし、いつ退院出来るのかもわかんねーけど」
「……」
「でも、いいよ。お前が嫌だって言うんなら、俺は構わねぇよ。無理に付き合うことはないと思うし」
「……違うよ」
 孝介は首を振る。確かに流されてここまで来たのかも知れない。だけど、知りたいのは自分だって同じだ。泣きそうな顔を、そのまま友人に向けた。
「なんか、怖くてさ」
「……俺だって怖ぇよ」
「俺、あの人のこと好きだったんだ。なんか、歳の離れた兄貴みたいでさ」
 いっつもだらしない顔で笑っていた。情けない寝癖がおかしかった。へらへらしててなにも考えていないように見えるのに、時たま心に残る言葉を吐いた。
 あの人と同じ場所に居たかった。同じ目線で喋りたかった。
 あの人を知りたい。あの人の心を知りたい。誰よりもなによりも側に居たい。
 今でも孝介は、足立の全部を知りたがっている。なのに明日が怖い。向かおうとしている先が怖い。
「理由とかわかったら、俺、あの人のこと嫌わなきゃいけないかも知れないだろ」
 本当に本当に好きなのに。
 それは今も昔も変わらないのに――。
「……今更じゃね?」
 陽介は変わらず白い息を吐いていた。孝介は意味が分からなくて目を向けた。
「足立が逃げ出した時点でほぼ決まりだろ。――あいつがやったんだ」
「……」
 嫌なことをわざわざ繰り返すな。孝介は胸のなかで呟いて目をそらす。
「理由が納得出来たら、お前はあいつのこと許せんのか?」
「……陽介は――」
「訊いてんだから答えろよ」
 いつになく厳しい口調に、孝介は口ごもった。
「……人殺しに、許せる理由なんかないよ」
 だから一昨日の自分たちがあった。同じことをしようとしていた仲間を、少なくとも道連れにしたくなくて必死に止めた。
 どんなに憎くても、どんなに簡単でも。
「今更だろ」
 確認するように繰り返す。孝介は無言でうなずいた。
「でも知るのも怖いよ」
「……俺だって怖ぇよ」
「見ない振りして逃げたいんだよ……!」
 我慢していた涙が落ちた。孝介は顔をそむけて涙を拭った。吐き出した息が白くけぶって消えていく。風に吹かれて、雪が小さく舞い上がる。
「……俺だって怖ぇよ」
 静かに陽介が繰り返す。孝介は足元に落ちる雪をみつめた。
「お前の言う通り、理由がわかったからって先輩が生き返るわけじゃねえさ。もしかしたら理由なんかわからねえかも知れねぇしな」
「……」
「俺も怖いよ。足立がなに言うのか、正直今からすっげー怖ぇ。……でもさ、俺は今更知らない振りは出来ないんだ。事件が起こって先輩が死んで、犯人がわかって――なのに今逃げたらさ、多分一生自分が許せないと思うんだ」
 孝介はゆっくりと息を吐いた。目をつむる時、残っていた涙がわずかにこぼれた。
「もう先輩の為とかじゃなくて、自分の為なんだよな。自分が納得したいだけなんだ。足立の野郎ぶちのめしたって先輩は生き返らねぇよ。そんなの、わかってる。……一人じゃ怖くて無理だけど、あいつらも居るしな」
 ――なにが望みだったのか。
 足立を追い詰めて、捕まえて、そして――そして?
「……俺もだよ」
 孝介は呟いて目を開けた。吐く息が白くけぶる。雪は今にも止みそうだ。
「俺も、納得したい。おんなじくらい怖いけど、多分怖い気持ちの方が強いけど」
「……」
「……陽介がどうしてもって言うならしょうがないから付き合ってやる」
「んだよ、この野郎!」
 怒声を上げながらも陽介は笑っていた。同じように笑い返して目をこする。
「明日」
 あらためて向き直ると孝介は言った。
「一緒に行こう」
「――おう」
 陽介がこぶしを差し出してきた。同じようにこぶしを握り、それにぶつけた。
「じゃあ、俺行くわ」
「うん。気を付けて」
 陽介は今更寒さに気付いたみたいに身を縮め、背を向けて歩き出した。霧が姿を消してしまう前に、孝介は友人を呼び止めた。
「陽介」
 相棒は不思議そうに足を止めて振り返った。
「ありがとな」
 一度照れたように笑うと、なにも言わずに手を上げてくる。同じく手を上げ返して、孝介はしばらく友人の後ろ姿を見送った。
 陽介と話していて、ひとつわかったことがある。知らずに居た足立の側面を知ったとしても、自分は彼を嫌いにならなくていいのだ。
 足立は出会った時から彼だった。事実を知った今でも足立が好きだ。
 だから明日、孝介は彼に会いに行く。足立を知る為に。もっともっと知る為に。


一緒に行こう/2011.02.28


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