呼び鈴を鳴らしたがしばらく返事はなかった。出掛けているのか? と不安になりながらもう一度呼び鈴を鳴らすと、
「……は、はいぃ」
やたら焦ったような足立の声が返ってきた。ドアが開くと、何故か下着姿の足立が小脇に大量の洋服を抱えて孝介を出迎えてくれた。
「どうしたんですか?」
「いやぁ……」
足立は困ったようにぼりぼりと頭を掻いた。何を着たらいいのか前日から迷い続けて、結局今の今まで決められなかったのだそうだ。あんたは女子か、と思わず突っ込みかけたが、その心意気だけでも買ってやらなければ可哀そうだった。孝介は玄関に入り込んでドアを閉め、居室に戻る足立のあとを追った。
「Tシャツにジーンズでいいんじゃないんですか。そんなに迷うもんじゃないと思いますけど?」
「えー? だってTシャツって、こういうのしかないよ?」
そう言って足立が取り出したのは青一色の普通のTシャツだった。悪くはないが、ブルージーンズと合わせるのはどうだろうか。孝介は床に放られた洋服一式のなかから適当な組み合わせをみつけて引っ張り出し、これはどうだ、こっちはいかがと、幾つかベッドに並べてみせた。足立は腕組みをしたまま不安そうにベッドを見下ろしている。
「……君はどれがいいと思う?」
「これかな」
綿のパンツとTシャツを指差すと、足立は手を伸ばしかけたがすぐさま引っ込めてしまった。
「これ、Tシャツ変じゃない? ボロって言うか……」
「そんなことないですよ。普通ですよ」
「……ホントに?」
「ホントに」
「ズボンの皺とか気にならない?」
「なりませんよ。これくらい普通ですって」
笑ってしまうほど不安そうな足立のケツを叩いてやっとの思いで支度をさせた。なんでそんなに心配するんだと訊くと、「だってさぁ」とTシャツをかぶりながら足立は言った。
「せっかくの初デートなのに、変な格好して笑われたくないじゃない? いや、僕だけが笑われるんだったらいいんだけど、君まで笑われるのは我慢出来ないもん」
でしょ? と当然のような顔で同意を求められても返事に困る。
「あれ? どしたの?」
「…………なんでもないです」
孝介はそっぽを向いて赤くなった顔を隠した。しかしその仕種が足立の不安をあおったらしく、
「え? なに? 僕、変なこと言った? なんか怒ってる?」
「……怒ってないです」
「えー……」
足立はおろおろと顔を覗き込んできた。こういう率直さは足立の長所だと思うが、生憎それを受け止めるだけの度量がまだこちらに不足している。だが逃げているだけでは終わらないこともわかっているから、孝介は思い切って振り返り、足立の両手を握り締めた。
「あのね、足立さんはもっと自信持っていいんですよ。俺が嫌いな人と嫌々付き合うわけないでしょ? 変だったらちゃんとそう言いますから、安心してください」
「……」
「足立さんはそのままで充分かっこいいし、その……俺は、好きですよ」
額がぶつかった。驚いて目を上げると、足立が嬉しそうに笑いながらこちらを見ていた。
「ありがと」
触れるだけのキスをして離れていく。一瞬呆けてしまった孝介の頭を撫でて、足立は手を引いた。
「行こっか」
「――はい」
財布と携帯電話、そのほか忘れ物がないことを確かめると二人は玄関へ向かった。今日は近場の湖までドライブに出掛けることになっている。しかも遼太郎に言って泊まりの許可も貰ってきたから、丸一日一緒に居られる初めての日だ。デート、と舌の上に乗せると未だに気恥ずかしいが、それが心躍るものであることは確かだった。
あの日、二人は関係をやり直そうと決めた。お互いにただ好きだというところから始めようと約束した。部屋中にばら撒かれた札を見て臨時ボーナスだと足立が笑い、何故そんなものが出来たのかを思い出した奴が、あらためて好きだ、付き合ってくれないかと申し出たのがきっかけだった。孝介に否やの有る筈がなかった。無駄にしてしまった二ヶ月間を、これから二人でたっぷり取り返すのだ。
外に出たとたんにセミの大合唱が二人を出迎えてくれた。七月もあと数日で終わりを迎える今日、太陽はその姿を惜しみなく天上で晒している。
「あっついねぇ。途中でコンビニ寄ろう」
「賛成」
車に乗り込み、シートベルトを締めながら孝介は思う。
あんな風に自信なさげな足立も、ひと月前までの意地悪で怖いと感じていたあの足立も、元をたどれば同じ人間に行き着く。どちらが本当の足立なのか、などとバカげたことを気にしているつもりはない。だが言い様のない底知れ無さを感じるのも事実だった。
自分を指して「汚い」と言うことも含めて、時々孝介は思うのだ。
もしかしたら俺はとんでもない人を好きになってしまったんじゃないだろうか――。
「それじゃあ、しゅっぱぁつ」
足立が車を発進させた。向きを変えて道路に出ようとしている。ふと振り返って足立を見ようとした孝介の目を、フロントガラスからの太陽の光が静かに焼いて過ぎていった。反射的に閉じた目の奥にあった物は、真っ白い闇だった。
世界で一番・その2/2013.07.06
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