足立は笑いながら顔を上げた。泣きはらした真っ赤な目が視界に飛び込んできた。文句を言おうと顔を上げた孝介と目が合った。気が付くと二人は至近距離で顔を見合わせていた。
 足立の腕を押さえる手に、わずかに力が加わった。二人は迷いながら顔を近付けていった。ほんの少し手前で躊躇していると、孝介の方から近付いてきた。
 そっと唇を触れてすぐに離れていく。
 すぐ側に孝介の息を感じた。震える手が足立の首筋に触れた。熱い指だな、と足立は思った。二度目にはためらいも消えていた。二人は唇を重ねて、長いあいだキスをした。
 唇が離れたあとも、孝介の目はまだなにかをせがんでいた。
「……また来るから」
 足立は手を上げると孝介の髪を梳いた。懐かしい感触だった。
 ――あーあ。
 孝介は辛そうにうつむいてしまう。足立は顔を寄せて脇から顔をのぞき込み、「ね?」と優しく言い聞かせた。
「……はい」
 唇に親指を触れると、ようやく孝介が顔を上げた。目の端に残る涙を舌ですくい、そのまま抱きしめた。同じように孝介の腕がしがみついてくる。
 ――やだなぁ、もう。
 孝介の頭を撫でながら思う。――あのさ、君に頑張ってもらうしかないんだよ。君たち以外に誰が菜々子ちゃん助けられると思う? でもそれを言葉に出して応援するわけにもいかない。だからだ。だから同情のフリで誤魔化している。君の為じゃないよ、菜々子ちゃんの為だよ。そうやって自分自身も誤魔化そうとしている。
 この身の重さを、温もりを、どれだけ望んでいたのかを、忘れようとしている。
 体を起こすと孝介も顔を上げた。泣き疲れた目にはなにが見えているのか、キスをしても殆ど反応はなかった。
「今日はもう寝な」
 足立はそう言って孝介の前髪を掻き上げた。
「また明日電話するよ。一緒にご飯でも食べよ」
「はい……」
 一度目を落としたあと、孝介はなにを思ったのかまたこっちをみつめてきた。
「……足立さん」
「うん?」
 なに、と訊くように目を向けると、孝介はゆっくりと手を上げて頬を撫でてきた。足立は無意識のうちにその手から逃げた。逃げてしまったことに自分で驚いて孝介を見ると、傷付いた顔で茫然とこっちを見ていた。
 宙に取り残された手がそろそろと下ろされていく。その途中で足立は手首をつかみ、指先を自分の頬に触れさせた。孝介にさわりたいと思うことはあったが、考えてみれば触れて欲しいと思ったのはこの時が初めてだったかも知れない。
 しばらく躊躇したあと、孝介の指が再び動き始めた。頬をなぞり、唇に触れて、髪の毛を梳いていく。足立は手を離しながら目を上げた。見ていると、孝介は奥歯を噛み締めてまた涙を落とし、突然首に抱きついてきた。
「足立さん……っ」
 二人は言葉もなく抱き合った。耳元で孝介がしゃくり上げている。つられて泣きそうになりながら足立は孝介の髪の毛を梳いた。そうして力の限り抱きしめた。
 ――あーあ。
 涙をこらえる為の嘆息が洩れた。
 やっぱり駄目だ。やっぱりこうなっちゃうんだ。無理なのはわかってたけど、あーあ。
 なんで君を好きなことが忘れられないんだろう。
 孝介がゆっくりと体を起こした。まだ涙は止まっていない。足立は困って部屋のなかを見回し、遠くに転がるティッシュの箱を引き寄せ、中身を適当に引き抜いた。
「ホラ、洟かんで」
 そう言って顔に押し付けると、孝介は泣き笑いの顔で「子供じゃないんですから」とティッシュで乱暴に涙を拭い、こらえきれずにまた涙を落とした。そのまま誤魔化すように視線をそらせたが、見えていないわけがない。
「ごめん」
 我慢出来ずに抱き寄せた。腕のなかで孝介は無言で首を振っている。背中にしがみつき、これまでの全てを吐き出すように涙を流し続けている。
 ためらったのちに、足立は本心を吐き出すことにした。
「……会いたかったよ」
「俺もですよ……!」
 責めるような口調が胸に響いた。思う存分罵ってくれと足立は思った。
 またこんな風に抱き合える時が来るなんて、あの日には想像も出来なかった。
 静かな部屋のなかに、孝介のしゃくり上げる声だけが小さく響いている。あらためて床の制服を拾い背中にかけてやった時、不安そうに孝介が顔を起こした。涙は止まりかけていたが、まばたきをした瞬間、またひと粒の涙がこぼれ落ちた。
 足立は迷いながら顔を寄せて涙の跡に唇を触れた。孝介は持っていたティッシュで顔を拭い、何度か深呼吸を繰り返している。
 頬に手をかけ、親指で涙の筋道を拭った。そのまま顔を寄せた。
「……また明日、電話するから」
「……」
「今更顔合わすの嫌かも知んないけど、その――」
「嫌じゃないです」
 呟いたあと、孝介は真っ赤な目を上げて足立を見た。その目はまるで訴えかけるかのように、まっすぐこっちを向いていた。
「足立さんがいいんです……っ」
 もう言葉はなかった。思いっきり抱きしめて、嬉しくて、泣いた。

やだなぁ、もう/2011.01.22

2011.02.12 一部加筆訂正


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