氷を口に入れて、舐めながら首をかしげた。陽介は探るような目付きでじっとこちらをみつめている。そうして不意に、なにを理解したのか大きくうなずいてみせた。
「はっはーん。なるほどね。月森先生には既に意中の人が居るわけだ」
「ちょ……なんでそういう話になるんだよ」
「ずばり、目です。今俺の相棒は恋をする人の目をしていましたっ」
「……お前、ホント最近クマに似てきたな」
「え、マジ!?」
それは困るわーと言いながらも、陽介は誤魔化されずにこちらを見続けている。孝介は動揺して目をそらせたが、友人の追及は止まらなかった。
「な、誰なんだよ。俺にだけこっそり教えろって」
期待に満ちた眼差しがまっすぐこちらへ向けられていた。本当にこいつは、こういう浮かれた話が好きだよなぁと内心で呆れ返る。しかしあらためて尋ねられたとたん、脳裏に足立の姿を思い浮かべる自分も、やっぱりどうかしている。
「……その、」
「うん」
孝介は口を開きかけてためらい、苦笑するように首を振った。
「別にそういうんじゃないんだよ。……多分、本気では相手にされてないと思うし」
「あれ、結構マジな感じ?」
わからない、と孝介はもう一度首を振った。
「相手、どういう人なんだよ」
さっきまでの茶化すような空気が消え、陽介は真剣な表情になった。言っていいものかどうか迷ったが、ずっと一人で抱えているのも辛い気がしたので、少しだけこぼしてみることにした。
「ちょっと歳離れてる。十歳くらい違うのかな」
「……まさか菜々子ちゃんじゃないよな?」
「バカかお前は」
本気でデコぴんをかましていた。
「いいか、菜々子は世界で一番可愛い妹だぞ、あんな可愛い子に男なんか出来た日にはな、俺はな……っ」
「わぁかってるって。冗談だっつうの」
額をさする陽介は渋い顔付きだ。だが不意に苦笑を洩らすと、「このシスコンが」と呆れたように呟いた。
「で? その年上の彼女にお熱なわけですね?」
正確には「彼女」でなく「彼」なのだが、さすがにそこまでは言えなかった。孝介は曖昧にうなずき、しかし途中でまた首を振ってしまう。
「なに。なんでそんなに暗い顔してんだよ」
陽介は両手で頬杖をつくとこちらの顔をじっとのぞき込んできた。しばらく考え込んだあと、だってさ、と孝介は呟いた。
「十歳以上も年が離れててさ、付き合うとかどうとか、真面目に考えられると思う?」
「そんなの相手によりけりなんじゃね?」
「絶対ないって。――からかわれてるって思うのが一番気楽だよ」
それは半分以上自分に言い聞かせる為の言葉だった。
付き合っているわけじゃない。好きになったわけでもない。ただ一緒に遊んでいるだけだ、そう思えばこのもやもやから目をそらしていられる。うつむいて手のひらを眺めた時、そこに足立の指の感触を思い浮かべても、それは彼が言うように己の体が「気持ちいい」を思い出しているだけなんだ――と。
そう思えば、なにも期待せずに済む。
「……」
陽介はイスに座り直した。そうして腹の前で手を組み、ぼそりと、
「お前がそれでいいんなら、いいんじゃねえの」
どこか突き放すような口調だった。孝介は不安を覚えて目を上げた。陽介は手元へと視線を落としていた。そうしてなにかを言おうと口を開きかけては、ためらってやめてしまう。それを何度か繰り返したあと、ようやく言葉を口にした。
「一個上の先輩とかでもさ、かっこよく見えたりすっからさ。年上に憧れる気持ちは俺もよくわかるよ」
「……」
「向こうも、兄弟とか居たら弟にしか見えないってのもあるだろうしさ。それは、ある意味しょうがないのかも知んないけど」
でもさ、と陽介は暗い目で呟いた。
「遅く生まれたのは俺らのせいじゃねえじゃん」
「……うん」
「俺だって逆に思ったよ。なんであと一年待っててくれなかったんだってさ。年下なのは俺のせいじゃねえよ、同級生だったらどうだったんだよ、ってさ――」
陽介は溢れる思いを抑えるように突然言葉を切った。孝介はなにも言えなかった。それは明らかに小西早紀へ向けられた言葉だった。
そして恐らくは、伝えることの出来なかった言葉だった。
「……悪い。なんか、変なこと言っちった」
孝介は首を振った。
「いや、俺も。……なんか、ごめん」
しばしの沈黙のあと、陽介は苦笑しながら顔を上げた。
「なんか今日の俺ら、謝ってばっかだな」
「確かに」
二人は顔を見合わせて笑い合った。
「俺は別にいいと思うぜ」
ジュースの残量を確かめるようにカップを振りながら陽介が言う。
「少なくともお前が本気なんだったら、俺は応援するよ」
「……」
陽介の言葉は本心からのものなのだろう。だが孝介は素直にうなずけなかった。
「本気なのかな」
目をそらして呟いた。
「自分のことなのによくわからないんだ。……変な話だけど」
「……」
「……でも、本気になるのは、ちょっと怖い」
そう言って孝介は手元へと目を落とした。そこに置かれた幻の指をつかみ損ねて、するりと逃げていくのを見たような気がする。
「んなこと言わねぇでさ。俺の分まで頑張れよ」
「……」
孝介はじっと手のひらをみつめている。友人の言葉に返事もせずに、逃げた指の行方を探している。
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